院長の独り言-
「歯科治療はどこでも同じ」ではない!
まずは、私、橋本直樹がどんな人間で、
どんなことを考えて日々治療しているのかを
少しでも分かっていただくために書いてみました。
昔から一度興味を持つと、とことんのめり込むタイプでした。
私の生まれはここ郡山です。
内科医の父が過労でX線被爆のせいか、
白血病で43歳の若さで急死したため、
中学1年になる年に鏡石町に移り、母が薬店を経営しました。
母は、結婚のとき「嫁入り道具が貧弱だね」と
まわりからいやみを言われたそうですが、
「私は薬剤師の資格を持ってきました」
と胸をはって言い返したそうです。
そして、その資格が家族を救ってくれました。
今も母の頑張る姿を思い出すと、涙が出てきます。
この頃の家族の苦労をみて育ったためか、自分の健康には気を遣っています。そのため、歯科医院も週休2日にしています。(木・日が休診)
私の話に戻りますと、
私は、小さい頃から図工、美術が得意で手先が器用でした。
中学の頃はマッチ棒で船や飛行機を作りました。
気の遠くなるような工作で、見方を変えると変人ですね(笑)
(今も院長室にありますが、色んな部品が取れてしまいました。
興味のある方にだけお見せいたします!?)
また、のめり込むととことんしてしまうタイプ
でもあったと思います。
中学2年のとき、学年別のマラソン大会で、運動靴(赤と青のストライプのはいったスポーツシューズ)が1位の選手にもらえることに
なっていました。
私は、その靴がどうしても欲しくなり、秘密練習を繰り返しました(笑)
マラソン大会当日、スタートと同時にトップの選手にピッタリと続き、
どんなに苦しくてもついていきました。
そしてゴール手前で思い切ってラストスパート・・・
信じられないことですが、1位になってしまいました。
しかし、その後は靴の代償で駅伝選手としての
苦しい練習の日々が待っていました。。。
高校生になって、またのめり込むものが増えました。
それは、掃除の時間です!
「えっ!」と思われるでしょう(笑)
「何で掃除が楽しいんだ」って!?
実は、取り壊されることに
なっている古い校舎の板廊下を
雑巾を硬くしぼって何回もかけまくり、
それを毎日、毎日繰り返していくと、
鏡のように光ってくるんです。
その輝きがどんどん増してくる
ことが不思議で楽しかったんです。
最後にはほんとうにピカピカに
光り輝く廊下になりました。
2年になってコンクリートの新校舎に移り、
この楽しみもなくなり、古い校舎も
取り壊されてとても残念でした。
大学卒業後の7年間の医局での研究で学んだこと
その後、東北歯科大学(現在の奥羽大学歯学部)に入学、そつなく卒業、国家試験合格となりました。
大学に残って勉強しようと思い、家計のこともあり、
有給枠のたくさんある診断科にはいることにしました。
しかし、保存科の2人の先生と教授から、
「有給枠が一つあるから」と誘われ、診断科を断り、
保存科に入ることにしました。
誘ってくれた先生が研究も診療も学生指導もバリバリこなす
魅力的な先生だったからです。
(現在、会津若松で開業されている森川公博先生と
栃木県鹿沼市で開業されている瓦井昭二先生です。)
ところが、青天の霹靂、運命のいたずらか、
大学の医局の有給枠がこの年、急に7人から5人に減らされ、
無給になってしまい、教授にゴメンと謝られてしまいました。。。
仕方ありませんから、その後2年間は昼はアルバイト、
夜は研究に精を出しました。
私のはいった保存科の歯内療法学とは、。
「歯をいかにして残すか」という
科の歯の中の治療をする講座です
歯の中の治療がほとんどですから、
非常に細かく、手間ひまの
かかる治療です。
みなさんにわかりやすく言い換えれば、
「歯の基礎工事」を行うところです。
まさに見えない土台の部分ですね!
それにもかかわらず、この科は最も地味で、保険点数としても
評価が低く、お金にならないところなのです。
つまり、この歯内治療は、
手間ひまのかかる治療の割に保険点数が低く、
そのうえ、見えない土台の治療なんですね。
(想像していただければ分かるとおり、歯科医師側は
あまり力を入れたがらないところなのです)
しかし、高いビルも基礎工事がしっかりしていなければ壊れるか、
建て直しです。本当はとてもとても大切な治療なのです。
(実際アメリカでは、歯科の研究分野では最も権威のある科なのです)
「歯をいかにして残すか」
これは、今もはしもと歯科医院では、
大切な診療のこだわりとなっております。
ですから、「すぐ冠をかぶせろ!」といわれても、
この基礎工事(歯内療法)を疎かにしてまで、
かぶせることは当院ではしていません。
どうかしばらくの治療期間をください。
そして、はしもと歯科医院を開業
私は学生教育や診療が大好きでしたが、研究は得意ではありません。
当然、大学は研究機関ですから、
必然的に7年間お世話になった大学を去り、
昭和63年開業することになりました。
郡山には土地と家がありましたが、不運なことに2軒どなりに、
別の歯科医院が建築中でしたので、郡山を歩き回り、
最終的に歯科医院の少ない喜久田町で開業することしました。
当初は、資金がないので、テナント開業となり、
6年後の平成6年5月に現在の場所に、
自前のはしもと歯科医院を建築することができました。
今でも昔からの患者さんは、テナントの場所に間違えて 行かれることがあるそうです。 御面倒をおかけします。
はしもと歯科医院で最も大切にしていること
この頃は、ていねいに治療すれば、すべて大丈夫と思っていました。当時の歯科医療界も悪くなったら治すという時代でした。
(といっても、ほんの20年ほど前までですが)
実は、これが大失敗なのです。
ある日のこと、何年か前に
治療した患者さんが再来院されました。
その患者さんの口の中をみてびっくり!
歯グキはグチャグチャのブヨブヨで
歯が移動してしまっているうえに、
ムシ歯でボロボロ。
涙が出るくらい悲惨な状態でした。
なぜこのようなことになったのでしょう。
そう。この頃の歯科医療は治療が中心で、
予防など見向きもされていなかったからです。
(国の保険制度も予防を全く評価していませんでした)
私がこのことで最終的に学んだことは、
「ていねいな治療だけでなく、患者さんの誤った生活習慣から変えていかなければ治療は成功しない」ということです。
すなわち、
患者さんと二人三脚で一生のお付き合いをする必要がある
ということです。
そこで、はしもと歯科医院では、治療がすべて終了しても、
ほぼ3ヶ月に1度は患者さんにメインテナンス
(歯のクリーニング)に来院していただいております。
メインテナンスは、はしもと歯科医院が最も大切にしていることです。
はっきり申し上げますと、
メインテナンスに来ていただけない患者さんは、
はしもと歯科医院のほんとうの良さが
わかっていただけないと思います。
なぜなら予防のエキスパートともいえる歯科衛生士が
毎日担当している患者さんの歯のクリーニングと指導を真剣に行っているからです。
はしもと歯科医院の院長として・・・
以上、長々と私の生い立ちから、治療で大切にしていることを
述べさせていただきました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
開院して30年近くが経ち、私の歯科医師人生も折り返し地点を迎えました。
しかし、今でも新しい技術の学びは忘れていません。
「常に昨日よりも優れた歯科医師」であることを意識し、
メインテナンスや、歯内療法で見えないところの治療も
しっかりと行って、患者さんの歯をできるだけ残し、
患者さんが快適に健康に生活できるように、日々努めております。
今まで来ていただいている患者さんへ
いつもはしもと歯科医院を大切にして頂き、ありがとうございます。
30年近くも続けてこれたのは、ひとえに皆様のおかげです。
皆様とともに健康にいい歳を重ねていけたらと思っております。
また、そうなるように、これからも皆様のお口の健康を
守っていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
はじめての患者さんへ
「どこの歯科医院がいいのか?」と不安なことだと思います。
患者さん一人ひとりのお悩みが違うことは、重々に承知していますので、どんなお悩みごとでも遠慮なくお話ください。
あなたがこれから快適なお口を手に入れることができるように、
いつでも私たちは準備をしています。